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竃山神社

今回の和歌山市での最終目的地の窯山神社です。
時間があれば東照宮や、天満宮、雑賀崎の辺りの番所の鼻にも行きたかったのですが、段々日が落ちてきてここが限界のようです。






竃山神社は娘が5歳で、息子が3歳の時の七五三で来たことがあります。
あの頃子供たちは可愛かったな~、などと思いだしてしまいました。





拝殿





御祭神は彦五瀬命です(五瀬命イツセノミコトとも言われます)。
彦五瀬命とは、神武天皇のお兄さんなのです。





竃山神社






五瀬命はウガヤフキアエズと、海神の娘であるタマヨリビメの長男として生まれました。




弟に次男:稲飯命・三男:御毛沼命・四男:若御毛沼命(磐余彦尊)がいます。




末っ子の磐余彦尊が後に初代天皇である神武天皇となります。






五瀬命は弟たちとともに東征に従軍しましたが、浪速国の白肩津(あるいは生駒の山)での長髄彦との交戦中に長髄彦の矢に射られて瀕死の傷をうけます。




五瀬命の「我々は日の神の御子だから、日に向かって(東に向かって)戦うのは良くない。廻り込んで日を背にして(西に向かって)戦おう」という助言によって一行は南へ廻り込んみましたが、紀国の男之水門に着いた所で、射られたときの傷が悪化しました。


五瀬命は「賊に傷つけられて死ぬとは」と雄叫びしたので、その地を男之水門(雄水門)といいます。


古事記によれば紀国男之水門で、日本書紀によれば紀国竈山で亡くなり、竈山に陵が築かれたと言われています。




ところで、神武天皇は四兄弟でした。





【長男・五瀬命】
神武天皇と一緒に東征したものの、長髄彦から傷を負いここ和歌山の窯山神社の辺りで亡くなります。





【次男・稲飯命】
神武東征に従いますが、熊野に進んで行くときに暴風に遭い、「我が先祖は天神、母は海神であるのに、どうして我を陸に苦しめ、また海に苦しめるのか」と行って、剣を抜いて海に入り、鋤持(サヒモチ)の神になったのだそうです。





【三男の御毛沼命】
一緒に東征したものの、九州の高千穂の辺りで鬼が暴れて思うようにしているとの知らせを受けて、九州へ帰り鬼をやっつけてその地を治めたとのことでした。






【四男・神武天皇】
東征を果たし、今の天皇の祖となりました。





その神武天皇の兄弟を祀っている神社をpleさんの安仁神社で紹介してくださっています。




兄達を祀ってあるので安仁神社(あにじんじゃ)とは面白いですよね。









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